楽園のマジック

Brian David-Marshall

金曜日, 6月 05, 2009


 ほぼ16年前、マジックの客っぽい人に強烈に揺すられたとき、まさかその男が私をマジックの記者・権威・プレイヤーの世界に導くとは思っても見なかった。あれは1994年、ニューヨークのコミックストアで働いていた頃のことだった。スーパーマンは死んだところで(4回復活したけど)、バットマンはウォーカーを使い、マーベルとDCだけだった世界にイメージ・コミックスが参入してきたところだった。私は店内で、いろいろなコミックのクリエイターのためのイベントを開催していた。私が生まれて初めて大群衆を相手にしたイベントだった。この経験が後に生きるとか、頻繁に用いられるようになるとかは思っても見なかった。その夏、品薄なゲーム商品を探している人々が、他の店々で失望した後で店に駆け込んできていた。彼らが探していたものこそ、マジックのカード。ベータはすでに売り切れになっており、どこにもなかった。最初、彼らが何を探しているのかすら分からなかった私に、一人の熱狂した客がつかみかかってきて、文字通り揺すられたのだった。私はただ撤退を決め込むしかなかったのだ。

 私はクリプトン星の最後の男が死んだというのと同種の熱狂をもたらすその商品を調査することにした。アンリミテッドが発売された時、私はすぐにスターター・デッキをいくつか手にしていた。《Ancestral Recall/Ancestral Recall》と《Mox Pearl/Mox Pearl》を早いうちに引き当てたのだ。当時私たちは、ゲームを身内的に楽しんでおり、ルールなどもまったく間違っていた。しかし、そんなことはどうでもよかった。私たちは楽しんでいたが、すぐに正しいルールを学び始めた。トーナメントの風がマジック世界に吹き込んでくるまで、そして私、同僚、それにルール・グル寄りの仲間の3人が、ニューヨークで大きなトーナメントを開こうと思い立つまでにはそれほどの時間は要しなかった。アラビアンナイトのセットを賞品として準備し、ルーズベルト・ホテルのボールルームを借り切ったその大会には、200人以上のプレイヤーが集まり、優勝したのは赤単バーンだった。レジェンドのセットを賭けた2回目の大会には700人を超すプレイヤーが集まり、長い間最大のトーナメントとして私の記憶に残っていたのだった。

 そのイベントは、当時の他のイベントと同様、シングルエリミネーションで行われた。もちろん、当時はトーナメント運営用のソフトなんて存在しない。DCIは存在したけれど、今とはまったく異なるものだった。レーティング・システムも今とは全然違っていた。私たちのトーナメントは公認だった――と言いたいところだが、実際にどうだったかは覚えていない。はっきりしているのは、そのトーナメントがシングルエリミネーションで、1回戦で敗れたプレイヤーはザ・ダーク1箱を賞品とした敗者トーナメントに自動的に参加するようになっていたことだ。もう一つ覚えているのは、紙を使った結果の提出後5分以内に、ランダムに近くの席にいたプレイヤーと対戦させてラウンドを立ち上げるという手法を編み出したことだ。後にスイス式トーナメントを運営するようになっても、この手法は何点に何人いるかということを踏まえて少しアレンジするだけで通用した。トーナメント運営用ソフトが出来たとき、それを使った方が遅くなるからというので使うのを躊躇したものだった。

 また、100人以上の参加者を迎えての大乱闘戦で締めくくりとなる、大量のサイドイベントも運営した。2つのトーナメントの経験を経て、私は一つの結論に達した。それは、イベントで次々に負けて失格になったとしても、最後の大乱闘戦で負けた後でさえも、彼らはなかなか帰ろうとしないということだ。しばしば、イベント・マネージャーと競うようにホテルから出ることすらあった。当時(1995年初頭)は大きなトーナメントがそうたくさんあったわけではなく、マジックをプレイするため、そして他のプレイヤーと情熱や大会の空気を分け合うために東海岸全域、あるいは国中からプレイヤーが集まっていた。トーナメント会場から帰らない人々は、他のマジック・プレイヤーと過ごすマジック漬けの環境からまだ抜け出したくないのだ。彼らはコミック・ショップのバックナンバーの入った箱の上でパシパシやっていたり、あるいはハンバーガーショップやフードコートに集まっていた。しかし、当時ニューヨークには月2回以上マジックをプレイできる場所というのはなかったのだ。

 1995年の春、ニューヨークでマジックの大会を開いていた人々の一部(その大会を開いていたグループは今でもGray Matter Conventionsとして残っている。その主催者は私のパートナーだったGlen Friedmanだ)は、「ついにニューヨークにゲーム会場ができた」というスローガンを掲げ、Neutral Groundを立ち上げた。毎週毎日マジックのトーナメントを開き、シングルやブースター・パックを売り、80坪のプレイ・スペースを準備して、日単位、週単位、月単位、あるいは年単位での入場料を取った。20ドル以上の買い物をした人や、トーナメントに参加したプレイヤーはその日は入場料がいらないという仕組みになっていた。うまくいくかどうかは半信半疑だったが、なんとか上手くいったのだ。他の店はゲームを売って場所を開放していただけだったが、ゲームをするのが主で物を売るのが従というトーナメントセンターという考えを生み出したのは私たちだと確信している(また、実際にそこはNeutral Ground Tournament Centerと呼ばれていた)。

 この2つの組織の間に、私は多くのマジック界初のことをしてきた。多くのジャッジやスタッフをプロツアーに供給したり、世界初のプロツアー予選(勝者はBuilding on a Budgetのライターを務めていたBen Bleiweissだった)を主催したり、カスレアドラフト(どのレアでも等価格としてレアを買い取り、それを必要な枚数だけランダムにパックに詰めてドラフトをすること)を考案したり、北米初のグランプリを開催したり。2001年後半になって、私は人生の転機を迎えた。それらの会社に関する権利を売却し、コミックを書くことに挑戦したのだ。よく言う「ドア」から出て、すぐに私はまさにこのサイトで書く機会をAaron Forsytheから与えられ、何本かのコラムをmagicthegathering.comやSideboard.comで書いた。また、マジックのプレイも続けており、ボストンでのチーム・プロツアー予選を勝ち抜いたのだ。そのイベントで負けた私に、カバレージを書かないかという声がかけられた。それ以降、体調不良で欠席したプロツアー・クアラルンプールを除いてすべてのプロツアーに出向いてカバレージを書くようになった。そのために世界を半周して、今はこのホノルルのホテルでこうして私の出自を語っているというわけだ。


血編み髪ありき

 Mike Floresはマジック・オンライン・チャンピオンシップ・シリーズのシーズン2チャンピオンシップのトップ8に、合計で32枚しか入り得ない《血編み髪のエルフ/Bloodbraid Elf》が32枚入っていたということを書いていた。そのトーナメントのフォーマットはアラーラ・ブロック構築、まさにこのプロツアー・ホノルルの構築部分と同じフォーマットだったのだ。《血編み髪のエルフ/Bloodbraid Elf》はトップ8だけですべてではない。32位までを見ると、ほとんどは続唱エルフ系のデッキであり、14位に初めて《血編み髪のエルフ/Bloodbraid Elf》が入っていないデッキが出てくるのだ。実際のデッキは次のリンクからたどることができる。

Top 8 9th - 100th 101st - 246th

 数シーズン前の、時のらせんブロック構築で行われたプロツアー・横浜を思い出すかもしれない。その直前の週の環境は、超攻撃的な白ウィニーに支配されていた。しかし、横浜の環境を制したのは《神秘の指導/Mystical Teachings》満載のコントロール・デッキだった。インベイジョン・ブロック構築で行われたプロツアー・東京でも、Rocket Shoesと呼ばれる超攻撃的な赤緑デッキが環境を制していたかに見えたが、それは単にZvi MowshowitzやBen Ronaldson、Scott Johnsその他の全フォイルデッキ「The Solution」の餌に過ぎなかったのだ。

 このフォーマットに解はあるのだろうか? コントロール要素はいくらでもあり、プロテクションつきのクリーチャーもいくらでもいる。一掃系の呪文も、今までのブロック構築よりも豊富だ。となると――結果は見てのお楽しみ、と言ったところか。


WPN スポットライト: 楽園のマジック

 今週末間違いなく話題になることの一つに、今週末のプロツアーのためにマジック・プレイヤーの群れがハワイを侵略しているからと乱立しているビーチ・ハウスがある。このコラムを書いている時点ではラストチャンス予選が行われており、この参加者数は今までの記録を大きく塗り替える物になるだろう。グランプリ・シアトル/タコマに私と一緒に行った5人のプレイヤーのうち1人だけがプロツアーへの参加権利を手にした。他のプレイヤーはラストチャンス予選に参加したり、他のパブリック・イベントに参加したり、あるいはスーパーFNMに参加して《熟考漂い/Mulldrifter》のFNMプロモをもらったりすることになる。

 Paula NakataはPaula's Sports Cardsのオーナーであり、そこでのトーナメント主催者であり、スーパーFNMを開催しているWPN会員2人のうちの1人であり、そしてこのプロツアーに訪れているプレイヤーが最後の買い物をするための店を出している。Paulaは1997年以来主催してきた膨大なイベント数のために、WPNに参加するように要請されたのだ。

 WPNに参加した経緯について、Paulaはこう語る。「マジックはリバイズドから売ってきて、いろいろなマジックのトーナメントを主催してきたわ。FNMは、ルーズヴェルト高校の卒業生、Michael ChingとJeffrey Leeの要求で、2004年か2005年から初めたの。彼らはいいお客さんだったから、彼らがハワイの大学を卒業するまでFNMを続けようと思ったの。Mikeは経済学と日本語の学位を取って去年の12月に卒業したし、Jeffは経営学の学位を取って今年の12月に卒業する予定ね。それだけ大会に参加した甲斐があって、彼らは両方ともハワイ州のチャンピオンになったわ。Jeffは現在のチャンピオンだったはず」

 ハワイでマジックをするのは、デッキひとつを手に他のいろいろなハワイの遊びをはねのけるようなものだと思われがちだが、Paulaはそうではないと言う。

「マジックのイベントは太陽や海と競うような物ではないと思うの。ほとんどのイベントは金曜や土曜なんだから、他の5日は海に出られるじゃない」

Paula's Sports Cardsにて、Sean Pottenger, Phillipe Martin, Reid Sano, James Kuwata.

「いろいろなタイプのプレイヤーのために、いろいろなタイプのイベントを主催してきたわ。イベントによって参加費も違えば賞品も違うのよ。勝ち抜いていないプレイヤーにもできるだけ賞品を出すことにしているの。賞品ががっぽり欲しければ他のイベントに行って、っていつも言ってるのよ。そうすることで、トーナメントを優しい物にして、経験の浅いプレイヤーにも参加しようという気になってもらえるようにしたいのね。たとえば2-2だったプレイヤーにはDCIプロモ1枚か1パック出す、ぐらいの感じにしてるの。高額な賞品が賭けられているイベントもやっているけど、その場合は参加費も高くて、トップに賞品を出すって明言してるから最初からわかるのよね」

「プロツアーがハワイに来たなんて最高!」と言うPaulaの店には、ここのところ数多くのプロが立ち寄っているという。「前回ハワイでイベントがあったときは日曜日まで雨続きだったのだけど、それでもプレイヤーはいい時を過ごしたそうね。今回はお天気もいいし、最高のイベントになるんじゃないかしら。風の噂に聞くところでは、プレイヤーたちはこのプロツアーにあわせて長い休みを取ってるらしいわね」

予選通過者 James Kuwata と、PTホノルル予選通過者 Dane Young.

 Paulaは本戦に出場している現地プレイヤーを紹介してくれた。「Jeffrey Lee、Michael Ching、Dane Young、Keoni Davey、Sean Pottinger、Charles Sonido、それに私のイチオシはKris Lohman。Krisはプロツアーに参加するために退職して来たそうよ。彼はよいゲーマーであるのと同時に、彼の息子にマジックを教えはじめているんだって」

 Paulaはラスベガス旅行から戻ったところで、ポーカーのワールド・シリーズの準優勝者にしてブレスレット・ウィナーのDavid Williamsが、プロツアー殿堂者のBen Rubin、文筆家のDan Burdickとともにスリーブとドラフト用の基本土地を買いに彼女の店に来たことに驚いたという。ラスベガス旅行でWSOPが大盛り上がりだったことを知っていた彼女は、ポーカーのプロがもうラスベガスでなくハワイに来ているなんて想像もしなかったのだ。

ゲーム文筆家のDan Burdrick、殿堂者Ben Rubin、WSOPブレスレット・ウィナーDavid Williamsはドラフトがしたい。

「彼に、私はWSOPに行ってきてて、まさかあなたがそこにいないとは思わなかったわ、って言ったのよ。そうしたら、前にWSOPとプロツアーが被ったときはWSOPに行ったんだけれど、ポーカーをしていてもプロツアーが気になったっていうのね」


話のタネ: マジックがしたいです

 David WilliamsはWSOPに参加するよりもマジックがしたかったという。さて、それでは今まであなた方がマジックをプレイするためにあきらめた貴重なことにはどんなものがある?

PTホノルル09 カバレージ トップへ 原文(英文記事)へ